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インストラクター紹介

“茂木敦子(もてぎ あつこ)

1984年10月9日 生まれ。”
“消防士の父とピアノ講師の母、双子の兄とともに、
茨城県牛久市で高校生まで過ごす。

幼い頃は、ピアノやクラシックバレエ、水泳や学習塾など
習い事の毎日。
夏休みに父の実家へ行き、自然の豊かな場所で従姉妹と遊ぶのが楽しみだった。”
“小学生の頃から、将来の夢は「小学校の先生」だったが

高校3年生の時に出会った生物の先生の影響で
「自然科学」に興味を持ち、大学に進学した先で「環境教育」という学問に出会う。

自然の少ない環境で育った子どもたちは、親子共々自然遊びを知らない。自然を身近に感じることもない。
「環境教育」は、そんな人たちに自然に触れる楽しさやきっかけ作りをするためのヒントがたくさん詰まっていた。”
“大学在学中に、先輩からの紹介で自然公園の解説員のアルバイトをすることもでき
その仕事や勉強に夢中だった。

しかしその頃から、1年間で10キロ太ったり
急な腹痛・吐き気によく悩まされるようになる。

好きな勉強、アルバイトをして毎日楽しいのに、
なぜだか体調はどんどん悪くなる。。。

ストイックなダイエットをしても長続きしないし
体調もなかなか良くならないなかで、

『ストレスのかからない、気持ちいダイエット方法はないか?』と
探していた先で、

当時流行していたヨガに出会う。

まずは、ヨガのDVDを本屋さんで買って、
自宅で見よう見まねでやってみる。
すると、ヨガを始めて2か月足らずで、体重がどんどん落ち始めた。

こんなに簡単に痩せた経験は今までなかったので、
どんどん夢中になる。

そこで、調べてみると
都内にたくさんヨガスタジオがあることを知り、通うように。”
“アシュタンガヨガ、ハタヨガ、シヴァナンダヨガ、アヌサラヨガ・・・
様々なスタイルの流派を体験していく中で、

自分が当時勤めていた「自然公園の解説員」のアルバイトと
このヨガのインストラクターには、どこか似ているところがあるな、ということに気づく。

ともに「自然」を扱い、より身近になるようにきっかけを作る仕事。
それはとても魅力的に感じた。”
“大学やアルバイトの合間に、足繁くヨガスタジオに通う中

とあるヨガのワークショップで

後にヨガの師匠となる
ニーマル・ラージ・ギャワリさんと出会う。

ニーマル先生は、ネパールの「アローギャ・アシュラム」という
先祖代々引き継がれた歴史あるヨガの道場から単身、来日し
様々なヨガスタジオでヨガや呼吸法のワークショップをしていた。

今まで受けた、どんなヨガクラスとも違う
とても静かで、パワフルで、癒しの力の強いニーマル先生のヨガに
感動が止まらない。

この人から、もっとヨガを学びたい。
その一心で、大学卒業後から2年間
ニーマル先生のもとでヨガを学ぶ。

平日の昼間は、都内のIT企業でOLをし
週末は朝7時からニーマル先生のヨガスタジオへ通う。

そんな毎日の中で
ヨガ哲学やアーユルヴェーダ(インド発祥の伝統医学。自然療法)、
ヨギックマッサージや瞑想を学ぶ日々。

気づけば、大学生の頃に悩んでいた突然の腹痛や吐き気などの症状や
慢性鼻炎、便秘、偏頭痛などの症状にも、ほとんど悩まされなくなったことに気づく。

そしてその頃から、友人や家族から「ヨガを教えて欲しい」と頼まれるようになり
友人の住むシェアハウスや近所の公民館の一室を借りて、ヨガクラスを定期的に開催するようになる。

ニーマル先生のもとでヨガを学び始めて2年経った頃に
「横浜に新スタジオをオープンさせるから、
そこでヨガクラスとヨギックマッサージを担当しませんか」と
ニーマル先生に誘われ

それまで勤めていた会社を辞め、単身横浜へ引っ越す。

担当したクラスは週に3コマ程度。
オープンしたてで、お客さんもほとんどいなかったため
生活費を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちする。

ヨガの仕事とアルバイトに明け暮れていた矢先に
東日本大震災が起こる。

ヨガの仕事も、アルバイトも休止し
実家に帰るにも変えることのできない、悶々とした日々が続く。

そんな時、
ニーマル先生から
在日ネパール人のボランティアスタッフとともに、
被災地(仙台・宮城)へ同行しヨガクラスとヨギックマッサージをするチャンスを得る。

そこで、ある家族との出会いにより
ヨギックマッサージの可能性やヨガの持つ根源的な力に確信を持つようになる。

横浜のヨガスタジオの営業が再開してもなお、
なかなかお客さんは集まらなかった。

アルバイト先でも執拗ないじめに遭い
働いてばかりの日々と、ホームシックにより
次第にノイローゼ気味になっていく。
この頃に、たまたま仲良くなった友人から
ヴィパッサナー瞑想を教わる。

体の動きや感覚、考え事や感覚に集中する・・・という
ヴィパッサナー瞑想は、
心を落ち着かせるのに、ちょうど良い方法だった。”
“もう少し、ヴィパッサナー瞑想を学んでみたくなり
熱海にある仏法学舎という瞑想センターで定期開催されている
瞑想合宿に1週間参加。

初日、2日目までは眠たくてしょうがなかったが
次第にやり方にも慣れて
1日に最長13時間、瞑想を続ける。

そして、瞑想合宿4日目に
「空(くう)の境地」を体験し、

瞑想合宿5日目に
「ヨガとヴィパッサナー瞑想をフュージョンしたら、
体が硬い人も心が乱れがちな人でも
ヨガや瞑想がマスターできるのではないか』というアイデアが浮かぶ。

このアイデアが、スンニャターヨガの原型となる。
このアイデアを思いついた翌日の朝に
横浜のヨガスタジオのマネージャーから
一本の電話が入る。

「今月いっぱいで、スタジオを閉鎖する」。
1年間勤めたスタジオが、じきに無くなってしまう。

この悔しい経験が、
後にスンニャターヨガを始めるきっかけとなる。

スタジオが閉鎖されたのと同時期に結婚し
アルバイトを辞め、
レンタルスタジオでヨガクラスを続ける。

新しい生活に慣れてきた頃に
師匠のニーマル先生のもとへ、相談へ行く。

私が瞑想合宿で思いついた
「体が硬い人も心が乱れがちな人でも
ヨガや瞑想がマスターできるであろう
ヨガとヴィパッサナー瞑想をフュージョンしたプログラム』を
どのように形にしていけば良いか?

アドバイスをもらうために。
ニーマル先生は、私の話を聞いた後に
「これは、ニーマルヨガと全く違うものですね。

新しく名前をつけて、始めるといいですよ。

あなたは、あなたのヨガを伝えなさい。」

そうゆっくり話した。

私のヨガを伝える・・・・

それならば、瞑想合宿で体験した「空(くう)の境地』をもとに

スンニャターヨガ
(パーリ語で、「空(くう)の」という意味)

と名付けようと、新たに活動を始める。
スンニャターヨガを始めた頃
旦那さんの転勤で、偶然地元の近所に引っ越す。

引っ越した矢先に、父が他界。
父が遺したビルの一室で、スンニャターヨガスタジオを始める。
その頃、プライベートでは
1度の流産を経て、その後二人の子宝に恵まれる。
この時、ヨガを始めて12年経ち
ヨガクラス・瞑想クラスの動員数は、のべ3000人を超える。

現在は、家族や友人に支えられながら
ヨガクラス、瞑想クラス、指導者養成講座、ヨギックマッサージ、ヒーリングを通じて

ヨガの楽しさ、瞑想の面白さを伝え続けている。

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